そして君は星になった

永遠の魔法をかけて

渋谷すばるという神様



わたしは渋谷担じゃない。けれど家にはいつも赤が身近にあった。

敬愛する母が、渋谷担だからだ。


わたしの世界は、いつも母によってつくられてきた。



母は、Jr.の頃から渋谷すばるの姿を見続けていた。エイトがデビューし、はじめて地元の名古屋でコンサートを敢行することになったとき、母は喜び勇んでガイシホール(当時のレインボーホール)へと出かけて行った。

そのツアーDVDが発売され、わたしはようやく、ぼんやりだった関ジャニ∞の像をはっきりととらえることになった。


わたしと関ジャニ∞を最初に繋いだのは、渋谷担の母だったのだ。


そのときから、わたしは関ジャニ∞の音楽に触れるようになった。学校での居場所がなく、周りの景色が色褪せていた日々が、急に色鮮やかに輝き出した。心が満ちていくのを感じていた。


そこで出会った渋谷すばる、という人が紡ぐ音楽は、わたしの中で特別だった。

劣等感に苛まれ、自尊心もなく、ただ自己顕示欲に塗れただけの当時の自分を救ってくれたのが彼の言葉。

生きるのがつらくて、もうやめたいと毎日毎日願っていた自分を肯定し、がむしゃらに背中を押すのではなく、なんとなくそばに寄り添ってくれるような、そんな歌。

そうして不器用に手を握って、「ここにいるからつらくなったらいつでも来い」と力強い、まっすぐな声で叫んでくれた。


はじめて嗚咽が漏れるほど泣いたコンサートだった。真新しい制服のシャツは、汗と涙でぐちゃぐちゃになってしまった。


一生忘れることのない、J-ROCKツアーのオーラスだった。そしてその日から渋谷すばるという人は、わたしの心の拠り所になった。

わたしの神様になった。


きっと同じようにたくさんの人が、彼の言葉に、歌に、生き様に救われただろう。


アイドルは宗教だ。わたしはアイドル・渋谷すばる教の信者の一人である。

でも、教祖であり偶像そのものである渋谷すばる自身が消えてしまったら、信者たちはなにに救いの手を伸ばせばいいのだろう。

アーティスト・渋谷すばるは新たな神になり得るのだろうか。


母とは二人並んで会見映像を泣きながら見たけれど、このことはお互いになにも話していない。だから母がいまどんな心境でいるかはわからない。

でも、気丈に振る舞っていることは伝わってるし、わたしよりもつらいのは間違いない。


だから、すばるくんはわたしの神様だけど、母を悲しませるような決断をしたのは許せない。直接家に来て謝ってもらっても足りないくらい許せない。


J-ROCKに来ていた70代のおばあちゃんのように、どんなに歳をとっても関ジャニ∞のコンサートに、アイドル渋谷すばるのいる現場に行ってほしかった。

渋谷すばるは死ななくても、アイドル渋谷すばるは死んだのだ。母はもう、すばるくんの顔のうちわを持つことも、「すばる」の名前が書かれたうちわを振ることもできない。


わたしの神様は、最高にかっこよくて、そして最高に身勝手だ。



2018.04.15



悪い夢でもみているんじゃないか、とおもう。夢なら醒めてほしい。


やけに現実味のない会見を見たあと、 湯船にぼんやりと浸かってうつらうつらしていたけれど、一向に夢が醒める気配はなかった。


わかってる、夢ではないことを。


いやというほど思い知っていたはずだった。この世に当たり前も永遠もない。

でもどこかで過信していた。唐突に変な週刊誌の記事が出たって、もっと信憑性のある記事で火消ししろよ、と笑い飛ばしていた。あり得ないとおもっていた。15日の朝8時までは。


目覚めてTwitterを見てみたら、前夜、大倉くんのラジオでの発言が注目を集めていた。もっと言えば、その日にはJ-webに注意喚起の文言が掲載されていた。

そこまでして事務所や当人たちが必死にならなくてはいけないほど、世間はずっとざわめいていたのだとそのときようやく知った。だってあんな記事あり得ない。誰よりも関ジャニ∞というグループに対して情熱と信念を持ってる人なんだから。そうおもっていた。


騒然とし始めたのはそれから1時間半後だった。もう、そこからわたしはずっと生きた心地がせずにいる。日曜の朝の二度寝から醒めていないんじゃないかと、もうすぐまた日が昇るというのに真剣に考えていたりする。


もしくはクロニクルの悪趣味な企画なのかな、とか。世間を大々的に巻き込んだ壮絶なドッキリ?だとしたら、フジの品を疑う、けれど心は救われる、のに。



オタクをやっていると、ときどき時間を強制的に止められてしまうことがある。そうして時空が歪んで、心の中にひずみができてしまうことがある。


その止められた時間がある人は、それぞれいろんなところで止まっている。

それは2005年7月15日かもしれないし、2013年3月29日かもしれない。ほかにもきっと、その人の中で止められてしまったなにががあるはず。


わたしは、2011年10月7日でひとつの世界線の時間が止まってしまったうちの一人。

けっきょく、うまく折り合いをつけようとしたけれど、どうにもできずに気づいたら時空が歪んでいた。


世界線が、心が、ひずんだ原因。それはきっと「正しい答えを与えられなかった」ことにあるんだと、つい3年ほど前に気づいた。


ここであらかじめ断っておくけれど、今回渋谷さんが発表したことと錦戸亮が発表したことはまったくもって状況も理由もなにもかも異なる。比較するようなことでもない。それは重々承知のうえで、それでも引き合いに出すことをゆるしてほしい。


錦戸亮はNEWS脱退発表時、「関ジャニ∞とNEWSの掛け持ちはどちらのグループへも負担をかけてしまう。だからNEWSを脱退する」とだけコメントしていた。わたしたちに本人から与えられた言葉はこれだけだ。あるとすれば唯一、その後の雑誌のインタビューで今の自分がNEWSを語るのは間違い、というようなニュアンスの発言をしたのみ。


たしかに掛け持ちの活動は目に見えて負荷が大きいようだった。

それは本当にそうなんだろう。だれしもが理解していた。

だけどわたしたちは、いつからそう考えていたのか、漠然としたものが前からあったのなら確固たるものになったのはいつからだったのか、メンバーとはどれだけ話し合ってきたのか、詳細について錦戸亮本人からはなにも聞かされていない。


だからこそファンの間ではさまざまな憶測が生まれたし、いまでもいろんな面で亀裂が残っているのを感じる。


錦戸亮は「言わない」選択をした。

それは自分が正解を話してしまうことで、誰かの希望が間違いとして潰れてしまうことを危惧したからなのかもしれない、と最近は理解している。


いろんな立場の、いろんな人な憶測を内包して、自分だけで背負い込む決意をしたのかもしれない。

でも、だからこそ煮え切らない気持ちが残ってしまう部分もある。そういう、心残りみたいなものが結局、尾を引いて時空を歪め、止めてしまうのだ。


その点において、今回の渋谷さんの発表は完璧だった。

いつから、どうして、今後は?

時系列も含めて知りたいこと、メンバー全員の想いまですべて話してくれた。


強がりの言葉もあったかもしれない。それでも、もう6人全員が、渋谷すばるという一人の男の夢を叶えさせようと背中を力強く押している。

こんなに潔いことってない。

かなしいし、さみしいし、関ジャニ∞を選んでくれなかったことは悔しい。

10年後も50年後もヨボヨボのおじいちゃんになったって、関ジャニ∞としてステージに立ち続けるもんだとおもってた。


でも、納得せざるを得ない発表だった。そんなに強い気持ちなら、あなたたちがみんなで決めたことなら、もう、がんばっておいでよって背中を押すしかないんだとおもった。


無駄な憶測も邪推も必要ないほどたくさんのまっすぐな言葉を与えられて、残されたのはただ泣くということだけ。



いつか、こんなこともあったねと、みんなで笑える時がくるのだろうか。

きっと時間はこの痛みを癒してはくれない。

癒してくれるものがあるのならそれは、未来の彼らの笑顔だけなんだろう。